プロダクションノート

羽海野チカ作品の真の魅力を映画化するために

 本作『3月のライオン』の企画を最初に立ち上げたのは2010年4月、原作コミックの第4巻が出版された頃だ。前作『ハチミツとクローバー』の大ヒットもあり、世の中には心温まる愛らしい世界観が羽海野チカ作品のイメージとして定着していた。しかし、『3月のライオン』の実写映画化にあたり、プロデューサーの谷島正之と竹内文恵は、「羽海野チカ作品の根幹にある、<職業・人生・才能>に真正面から向き合おうとする者たちの葛藤と覚悟」がその真の魅力と考え、しっかりと描きたいと考えていた。
 多くの監督が映像化を望んでいた中、「それを撮れるのは、大友啓史監督しかいないと思った」と谷島は振り返る。TVドラマ「ちゅらさん」のような家族のドラマも溌剌と描けて、「龍馬伝」のように身を削るような闘いの血の匂いも撮れる。大友監督に依頼して同意を得たのは、『るろうに剣心』のクランクイン直前だった。
 その後、準備期間を経て、2014年4月に羽海野チカの快諾を得て企画が動き出す。『ハチミツとクローバー』のTVアニメと実写映画、『東のエデン』に関わってきたアスミック・エースとしては、羽海野チカとの4度目のタッグとなった。

原作者とのやり取りから生まれた未知のラスト

 大友監督からは、本来は連続ドラマとしても十分成立する分量の物語だから、前・後編にしたいという要請があった。原作側とも合意し、羽海野チカからは「脚本をじっくりと練ってほしい」というリクエストがあった。
 脚本執筆には、「相棒」シリーズで知られる王道のエンタテインメントを得意とする岩下悠子と、ぴあフィルムフェスティバルでトガった感性が評価され賞に輝いた若手の渡部亮平の二人体制がとられた。大きな枠組みを岩下が作り上げ、会話のグルーブ感などに“今”を吹き込んだのが渡部だ。
 原作の特徴の一つに、“モノローグ”がある。登場人物たちの心の声が言葉となって、縦に横に散りばめられる。だが、俳優たちが生身の身体でどこまでドラマを作り出せるかに挑戦するために、1度このモノローグを全部外して構築してから、場面によっては足していくというプロセスが踏まれた。
 大友監督を中心に、二人の脚本家がコラボレーションしながら稿を重ね、最後に見事に彼らの“いいとこどり”をして、大友監督自身がギュッと1本にまとめ上げた。
 原作は現在も連載中のため、後編の脚本作りは、まずは羽海野チカが考えていたラストと、そこへ至るまでのいくつかのエピソードを受け取った。それをもとに、大友監督と羽海野チカとの間で、何度かやり取りをしながら作り上げられた。
 また、原作で姓か名前のどちらかしか出てこない人物は、後藤正宗と幸田柾近、甘麻井戸誠二郎、安井学など、新たに羽海野チカが名前を付けた。

すべてのピースが完璧にはまったキャスティング

 企画のごく最初の段階から、主人公の桐山零役は神木隆之介にというのは、原作者・監督・製作サイド全員の強い希望だった。原作のファンだった神木が快諾。そして、島田開役の佐々木蔵之介もまた、監督・製作サイドの希望を伝えたところ、羽海野チカより実は島田は佐々木の頭蓋骨をモデルにしていたという逸話が告白され、うれしいキャスティングとなった。
 桐山零の成長物語が縦軸となるため幸田家の人々も重要で、大友監督は特に父親の柾近役にこだわっていた。穏やかな父親像の奥から漂う、勝負師の匂いが欲しいというのだ。豊川悦司が醸し出す艶はイメージ以上で、冒頭の幼い頃の零とのシーンから強い印象を残す。香子役の有村架純は、これまでにない現代的でシャープな魅力を見せてほしいという製作サイドの願いが、有村サイドの希望と合致した。  後藤役の伊藤英明は、本人が是非大友組に参加したいと熱望していた。宗谷役は大友監督が加瀬亮と直接会って決めた。その際に加瀬は宗谷像を作っていくのではなく、そぎ落としていくことで宗谷の存在に近付いていきたいと話したという。大友監督は、ストイックでリアルなアプローチを追求する加瀬を得て、作品の通奏低音が決まったと喜んだ。

棋士たちと川本3姉妹~撮影前のそれぞれの役作り

 撮影前から将棋のレッスンが始まったが、棋士役の俳優たちがリラックスしていたのは初日の最初の数分だけだった。将棋監修のプロ棋士たちの美しい指し方を見て、あまりの違いに愕然としたのだ。大友監督からも、「対局シーンは殺陣と同じです」という檄が飛ばされ、一人に一つのマイ将棋盤・駒とルール本、対局の動画集の“自主練セット”が配られた。
 神木隆之介のレッスンは、撮影の2カ月前から始まった。幼い頃に祖父から手ほどきを受け将棋に親しんできた神木は、さらにプロ棋士に鍛えられメキメキと腕を上げていった。加瀬亮も宗谷役を引き受けた翌日から、自ら申し出て始めたという。伊藤はチェスをたしなんでいたこともあり、勝負勘が良く強かった。指し方を習っているはずが、ついつい勝負にのめり込んでしまうこともあった。
 一方、川本家の3姉妹の役作りの一つとして、“お泊り会”が実施された。ロケ撮影用に見つかった一軒家に集まり、近くのスーパーへ買い物に行き、カレーを作って食べて1泊したのだ。スタッフがいたのは最初だけで、あとは“姉妹”水入らずで過ごした。

対局シーンの奥の手となったアナモルフィックレンズ

 対局シーンの撮影方法は、クランクイン前の課題の一つだった。大友監督と撮影監督の山本英夫が様々な技術を検証した結果、正攻法が最も適しているという結論に至り、山本の提案でアナモルフィックレンズを使うことになった。ワイドな映像が撮れるレンズで、スペクタクル映画の傑作『アラビアのロレンス』で使用されたことでも知られている。
 対局シーンを撮り終わった後の俳優たちの消耗ぶりは尋常ではなかった。まずは棋士として対局の流れをすべて覚え、一手一手に意味があることを理解し、同時に役者としてストーリーを掴み、演じるキャラクターの感情を一手一手に乗せていかなければならない。それでいて演技としては、手足は限られた動きしかできないし、台詞もほとんどないのだ。そんな俳優たちの全神経を研ぎ澄ました演技と、アナモルフィックレンズの効果によって、ダイナミックかつ奥行きのある映像が完成した。
 撮影中、現場を訪れた羽海野チカは、大友監督からこれまで撮った映像を見せられた時、すべてのテイクを編集せずにそのまま映像としてもらって、漫画を描く時にずっと流していたいと話したという。それほどすぐに、モニターの映像に惹きつけられたのだった。

リアリティを追求するためのロケ撮影

 桐山零のマンションは、原作通りベランダ側の窓を開けると、すぐ隅田川が見えるというロケーション。零が通う将棋会館は、千駄ヶ谷にある実際の会館で、近くの鳩森八幡神社や商店街の方々にも全面的な協力を得た。
 ロケかセットか、最後まで悩んだのが川本家。だが、関東近郊を探し回ってようやく見つけた、原作から抜け出してきたかと見まがうばかりの一軒家に、大友監督とスタッフの心は決まった。7年前まで書道家の女性が住まれていたという家は現在もまめに手入れされていて、長年人が暮してきた気配や息遣いは、やはりセットでは出せないものだ。縁側を少しだけ足して、表は引き戸に変えて、家具や小物は3姉妹の暮らしぶりの隅々まで想定して作られたが、仏壇は家にあったものをそのまま使わせてもらった。
 島田の家は、横浜の丘の上で見つけた一軒家。住まれているところをお借りして、サボテンを始めとする島田のイメージグッズを持ち込んだ。後藤の部屋には、棋譜を部屋中に狂ったように並べている。幸田家の棋譜の入ったキングジムのファイルは整然としているが、その分量に違った意味の凄みを感じる。
 対局シーンは、趣とスケール感の漂う場所で撮影された。冒頭の宗谷と後藤による名人戦は、兵庫県の圓教寺の能舞台。多数の重要文化財を抱える天台宗の寺で、トム・クルーズ主演の『ラストサムライ』が撮影されたことでも有名。宗谷と島田の獅子王戦は、ホテル椿山荘東京。実際に名人戦の第1局が開かれる場所で、大盤解説の部屋も借りた。
 零と宗谷の記念対局は、黒光りするように磨き込まれた床が美しい岩手県の南昌荘。前夜祭が開催されたホテル大観は、原作に出てくるホテル。最後の対局シーンは、山形県の立石寺。1070段もある石段を1段1段上りながら風景を撮影し、この地でクランクアップとなった。

キャラクターに命を与える大友組スタッフ

 主要キャストが演じたプロ棋士たちのスーツと着物、島田と後藤の特徴のあるコートや、零と二海堂の私服などはすべて衣裳デザインの澤田石和寛によるオーダーメイド。ベーシックなデザインの中に、キャラクターの魅力を潜ませるというアプローチだった。着物は主に洋服生地で作り、宗谷名人には光を吸い込む様な質感を目指し起毛の生地等を使用している。
 桐山零には、グレーやチャコール、ベージュなど曖昧な印象を持つ素材感と色彩の組み合わせで大半の衣裳が構成された。零の学校制服は他の学生と僅かに違うデザインを採用しているが、学校違反とされない程度に馴染んでいて、学校内での零の立ち位置を表している。ダッフルコートは、紺、グレー、キャメル、カーキの4色が作られ、心情の違いを追って着替えている。眼鏡は対局時に使うマットな質感の木と、日常のシーンに使うセルと、微妙に形も異なる素材違いの2種類を職人の方に作ってもらった。髪形は零なら身ぎれいに整えたりしないだろうと、ヘアメイクデザインのShinYaのプランで、神木が自分で切ったものに、最後にスタイリストが少しだけ手を入れている。
 二海堂には「二」という家紋を作った。スーツやベスト、喪服の首のところに入っている。特殊造形には毎回2時間30分かかった。完成度の高さは、役者の動かし方も重要だ。染谷将太は造形師も絶賛するほど動かし方が上手く、生き生きとした表情が生まれた。
 川本家の食卓に並ぶ料理は、装飾の渡辺大智から大友監督に、「食べ物の吐息までちゃんと表現したい」という提案があり、その殆どを装飾班が手掛けている。本物の家庭料理が、一つずつ心を込めて作られた。渡辺は、幸田から零にクリスマスプレゼントとして贈られる将棋の駒にもストーリーを与えた。プロ棋士になれなかった者には、奨励会を退会する時に、名前の入った“退会駒”が贈られると知った渡辺は、プレゼントの駒を零の実の父の退会駒だと設定した。かつてプロ棋士を目指していた父が友人の幸田に渡し、このタイミングで零に引き継いだのだと。羽海野チカに名前を聞いて、蓋の裏に“桐山一揮”と書いた。

主人公と同じ世代の二人のアーティストの競演

 舞台は将棋の世界だが、大友監督はプロデューサーに「今という時代の空気感を大事にしたい」と話していた。次の世代につないでいく作品になってほしいという想いもあり、主題歌を若い世代に託すというアイデアに前向きだった。
 前・後編を編集していく中で、単なる続きものでなく対になるテーマがより強く浮かび上がって来る。この頃、タイトルの由来となった、春の訪れを表す英国のことわざから、海外用のタイトルも、前編は「March comes in like a lion」、後編は「March goes out like a lamb」となった。
 前編は、17歳の主人公が自分の足で立とうとする物語だ。観終わった人たちは、桐山零と一緒に新たな荒々しい嵐の中へ飛び込んでいくような気持ちになるはず。そこで、零と同じ世代に孤独な心情を歌ってもらおうと、当時18歳の「ぼくのりりっくのぼうよみ」が抜擢された。大友監督は、10代特有の心象風景の表現と、少し体温の低いアプローチに惹かれたという。
 後編を観終わった後は、零だけでなく彼を見守る人たちにも共感できるはず。製作サイドは、羽海野チカが連載構想時に本作をイメージしながら聴いていた曲でもあるスピッツの名曲「春の歌」のカバーを、21歳の「藤原さくら」へオファーした。彼女の中性的な鋭敏さと温かな母性をあわせ持つ声は、零が少しずつ取得していく人間味を感じさせ、物語の余韻とともに彼の成長をささやかに祝福する。こうして、二人の若い才能が、前編と後編というそれぞれのテーマのコントラストをより一層際立たせるという、かつてない主題歌コラボレーションの誕生となった。

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